イベント報告
尾瀬横断の旅
【尾瀬横断健康増進とエコ体験で知る夏の思い出】
尾瀬を代表する見どころを余す所なく見て回る今回のレクリエーションは、少々ハードですが、体力と精神力を養うには、持ってこいのフィールドであると思っております。また、都市部に住んでいると忘れがちな自然(太陽、水、空気)の有難さを再認識し、自然保護の為に自分で何が出来るかを考えて見る良い機会だと思います。
夏の思い出を口ずさみながら歩けば臨場感が湧いてくるぞ!!
往復路水平距離 約25km
全行程歩行時間 約14時間
【往路予定】8月7日(火)夜発
★必ず、バスの中で仮眠する事、寝ないで登山をすると怪我をし、
皆さんに迷惑をかける事になる
4:00 戸倉 着
5:00 大清水 発 ★水分とエネルギー補給してから出発
6:00 一之瀬休憩所 ★10分小休止 朝食
8:00 三平下 ★尾瀬沼山荘前にて10分小休止 尾瀬沼が目の前に見えます
8:20 尾瀬沼ビジターセンターにて、尾瀬の動植物勉強 ★10分小休止
9:00 燧新道分岐
12:00 ミノブチ岳山頂 ★各自持参した物で昼食
12:40 山頂 燧ヶ岳2356m
13:00 山頂 ★記念写真小休止10分
16:00 下田代十字路着(原の小屋宿泊)0241-75-2038
16:45 入浴
17:30 夕食
ミノブチ岳山頂付近から岩山となり、滑落しそうな危険な個所があります。浮き石に注意して登りましょう。
年配の方は、ストックが必要と思われます。最初からストック歩行で行きましょう。
*******雨天の場合、ルート変更します。
【復路予定】8月9日(木)
6:00 起床
6:15 朝食 ★昼食まで時間がありますので、朝食は沢山食べてください
7:00 原の小屋出発 ★記念写真
9:30 山の鼻 着 ★15分小休止
9:45 山の鼻 発
11:20 鳩待峠 着 ★お土産タイム★記念写真
11:50 鳩待峠 発 (バスにて戸倉のバス連絡書へ)
12:25 戸倉バス停着
12:30 戸倉温泉
★シャンプー石けんは、ありますが、タオルはありませんので持参してください。石けんの有難みが身に沁みる事でしょう。
13:30 戸倉の湯 発 徒歩にて、かもしか村そば店へ 徒歩8分
13:45 かもしか村そば店にて昼食 0278-58-7047 事前に昼食連絡
14:30 かもしか村そば店発 ★戸倉バス連絡所までの間にドリンク類各自調達
15:10 尾瀬戸倉バス連絡所 集合発15:20
19:30 池袋 着解散
★★★ザックに物を詰める時の基本★★★
下に軽い物、上に重い物を詰めた方が安定し、疲れにくくなる。
登山中必要のない物、特に下着関係は下の方に、上の方には、天候による気温の変化に対応する為に
雨具やフリースなどを詰めておくとよい。
また、用途別に袋に分けて整理しておくと便利。着替えの下着袋1つ、汚れた下着袋1つ、
濡れては困る電化製品用のビニール袋1つなどと分けておく。
【尾瀬でのマナー】
★木道は、右側通行となっています。
★ゴミは、すべて持ち帰りです。持ち帰らなくて良い物は、尿糞だけです
★挨拶をしましょう 「おはようございます」「こんにちは」
★尾瀬では、石けん・シャンプー・歯磨き粉が使用禁止となっております
★自然環境保護のため動植物は採取しない・外部から植物の種を持ち込まない
【その他注意事項】
■尾瀬は、携帯電話が繋がらない地域ですので、電源はOFFにして携帯して下さい。そうしないと、携帯電話がアンテナ基地局を探そうとして、フルパワーで電力を消費してしまい、あっという間の電源が無くなります。また、山小屋に電源コンセントがありませんので、充電は不可能です
■40秒100円の衛生電話が、山小屋にあります。
■尾瀬の水は、天然水でそのまま飲めます。空いたペットボトルに詰めて持ち歩きましょう。
■早寝早起きの習慣を2週間前から実施する事
■安全に登山する為に、本日より縄跳びや軽い運動を毎日実施する事
■安全に登山する為に、本日より禁煙禁酒です
☆登山の次の日から、体が軽く動きやすくなり、食欲が湧き、本来の健康体が戻ってきます。
ここで、食欲をセーブしないで、食べ過ぎてしまうと、リバウンドで以前より太ってしまいます。
腹7分目にセーブして、運動に目覚め、健康体をセーブして行きましょう。
【尾瀬の歴史】
ひうち燧ヶ岳に強く惹かれていた長蔵氏が、はじめてこの山に登ったのは明治22年。当時の尾瀬は、猟師や釣人がたまに姿を見せるだけで、原始の自然が今よりも豊かに息づいていた。長蔵氏は、そういう尾瀬に強く惹かれるとともに、氏の出自、檜枝岐の産土神である燧ヶ岳への信仰を基に敬神愛国の念を広めることを志した。翌年、尾瀬沼の西岸、沼尻に長蔵小屋を建てて活動の拠点とし、紆余曲折を経て、小屋を現在の地に移動して、大正11年には、妻子とともに尾瀬を生活の拠点とすることになった。折しも尾瀬の豊かな水資源を利用しようとする計画が持ち上がった。尾瀬ヶ原に水をため発電に利用しようというのである。ダムが完成すれば尾瀬ヶ原は水没し、尾瀬の自然は大きく破壊される。長蔵氏は、この計画に反対を唱え、孤独な戦いを開始した。そして、昭和5年の急死。父の遺志を継いだのは、息子、長英氏であった。父子の活動が功を奏したのか、昭和9年に日本全国から計11ヶ所の国立公園が誕生した際、日光国立公園の一部として尾瀬も国立公園に指定された。これで開発による環境破壊の危機は去ったかに見えたが、現実はそのように甘くはなかった。昭和19年に尾瀬沼の取水工事が始まり、戦時中に一時中断の後、昭和22年に工事再開。長英氏は、学者、ジャーナリストなどとともに反対運動を展開したが、戦後の経済復興の波の前に敗北、昭和24年に取水工事は竣工した。ただ、この時、結成された「尾瀬保存期成同盟」が母体となって、「日本自然保護協会」が生まれ、日本の自然保護運動はここからスタートした。
日本の高度経済成長下の開発ブームにのって、尾瀬に観光自動車道を通す計画が発表された。昭和38年には戸倉—鳩待峠間の車道が45年5月に檜枝岐—沼田間のバス道が開通した。この時、反対運動に奔走したのは、長英氏の長男、長靖氏だった。祖父と父の志を引き継ぎ、三平峠の頂上付近まで車道を通そうとする自動車道の建設阻止に立ち上がったのである。建設反対の署名集め、環境庁長官への直訴などと、文字通り休む暇もないほど、多彩な活動を展開した。昭和46年8月21日に「尾瀬の自然を守る会」が発足され、同27日に工事の中止が閣議で了承。長靖氏の車道阻止運動は一応の成果をあげた。その後、平成4年に群馬県の呼びかけによって、群馬、福島、新潟の三県知事による「尾瀬サミット」が行われ、尾瀬の自然保護と環境保全へ向けて努力していくことなどが話し合われた。これを受けて、尾瀬保護財団が活動を開始した。尾瀬を訪れる人々が、知らずに持ち込む植物の種や山小屋で生じるゴミ、排水など自然を傷める要因は尽きない。尾瀬の自然は、守ろうとする確固たる意志がなければ、すぐに開発や観光の波にもまれ破壊されてしまう。先人たちの努力によって守られてきた自然を、後世に引き継ぐためには不断の努力の積み重ねが求められている。平成17年、尾瀬はラムサール条約湿地に登録された。
店主あとがき
尾瀬縦走満喫していただけましたでしょうか?
歩行距離がありますのでその分時間もかかります。
正直、リタイヤが出るかも知れないなと思っておりましたが、何とか無事、下田代十字路の山小屋に到着しました。
8月初旬ですが秋の気配を感じる尾瀬、軽装備で登山をすると風邪ひくぞ
天然水の美味しい事花咲く7月初旬に行きたい
携帯電話がつながらない
石けんシャンプーが使えない。山小屋に風呂があるだけまし・・・