四川の食文化【02】

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1:地理的な要因

 

四川の位置は長江の上流にあり、真中は低く平らで、四方に高い山に取り囲まれていて、盆地を形成しております。長江が東南に走り岷江,沱江,嘉陵江が北から流入し、烏江が南から流入し、川は縦横と流れ、丘陵が起伏である所です。


成都近郊に、有名な古代水利施設として世界遺産に登録された都江堰があって灌漑水路が密集しています。盆地は温帯な所で、気候は温和、雨量は十分にあり、霜がない期間が長く、土壌が肥沃であり、自然条件が十分優れており、これまでずっと我国の農業、林業、牧畜業、副業、漁業の総合発展の有名な主要基地であり、昔から“天府之国"と称号を得てきた所であり、四川料理の形成と発展のために、豊かな物質の基礎を作ったのです

2:四川人が持って生まれた嗜好と気質が要因

 

巴蜀の人はもともと" 尚滋味", "好辛香"の伝統を持ち、富豪の家は更に競い自慢する宴会を求めた事によって、調理技術は発展を高めてきました。蜀の時代の上流社会の中に料理を作る事が好きな人がたくさんいました。

蜀の文人、雅士東は、料理人に代わって作ることが少なくなかったのです。

西漢の時代の“文君当炉、相如浄器"の故事は、早くからすでに、代々伝わる善い話として伝わっています。

また、蘇東坡は自分で述べています。その“常に自ら調理道具をもってお客様をもてなす"、豚肉の焼き方の13の文字の秘訣を作った程の料理人でもありました。

 

伝説によると彼が考案した" 東坡肘子"は今に至っても、まだお店の人気商品でもあります。そして、今世紀30年代初めに、作家の李劼と言う人が"小雅"という面館を開業し、彼もまた文豪が料理を作っていたという有名な話が残っています。


革命烈士の車耀先は30年代初めに成都で"努力餐"と言うレストランを開業しました。立派で、美しく、安く、清潔で有名でした。革命を宣伝する援護の為にたくさんの仕事をしたのです。ますます彼の事を人々が敬慕するようになったのでした。四川は昔から味を重要視し、品質にこだわるという飲食の伝統があるので、大々的に四川料理の調理技術の普及と向上を促したのです。

3:歴史的人口の移動が要因

 

四川料理は、その発展の過程の中で、広くいろんな流派の良い所を吸収して発展して来ました。 各料理の大きな体系並びに宮廷料理、官府料理、寺院料理など良いところを取り入れ伸ばして来たのです。 “南の料理を四川の味で作る"“北の料理を四川の技法で作る"という例えは、正に四川料理の特徴を要約しています。


歴史上の人口大移動により、巴蜀地方一帯に各地の飲食の風習を持って流入して来た人がたくさんいました。秦が6国を滅亡させた後に豪族が蜀に移動し、漢の初めに開中の人々が巴蜀に移り住むようになったのです。東漢の末期に、2つの晋の時代、晩唐5代の時代、巴蜀地方は、比較的中原より安定していました。たくさんの士官の官僚ならび庶民が四川に移り住むようになってきたのです。


明代の末、清代の初めに、湖南と湖北省と広東などの省の移民が四川に多く入り、四川は移民が多くなったのです。また、8年の抗日戦争の時、多くの省外の人が四川にたくさん入って来ました。これらの人口の大流動が、四川料理が各地の調理技術を勉強するための十分有利な条件を提供し、四川料理を充実させ発展させてきました。